Research Highlights:
固体における内殻電子の絶対束縛エネルギー
OpenMX project
シリコン結晶中でのSi原子-2p内殻ホールにより
誘起された電子密度の非周期成分

物質にある振動数以上の光を照射すると物質表面から電子が飛び出してくる現象は19世紀の後半にヘルツとハルバックスにより発見され、光電効果として古くから知られています。アインシュタインは1905年に光の粒子性、いわゆる光量子仮説を導入することで、電子が光子のエネルギーを受け取り物質表面から光電子として飛び出してくる過程として光電効果が理解できることを示しました。光電効果を利用したX線光電子分光法(XPS)では照射光としてX線を用いることで、内殻電子が光電子として放出されます。光電子の運動エネルギーを測定することにより、エネルギー保存則を考慮することで固体中での内殻電子の束縛エネルギーが得られます。内殻電子の絶対束縛エネルギーはほぼ元素毎に決定されているため、元素の指紋として利用することで表面近傍の元素組成分析が可能になります。また原子の置かれた化学的環境に応じて内殻電子の束縛エネルギーは敏感に変化し、その僅かな束縛エネルギーの違いを測定することで、表面近傍の構造やその時間変化を追跡することも出来ます。そのため、新二次元物質の構造や触媒の原子レベルでの反応機構の解析などに不可欠な実験手段となっています。一方、その長い歴史と物質科学における重要性にも関わらず、最も基本的な測定量である内殻電子の絶対束縛エネルギーを高精度に算出する実用的な第一原理計算手法は明らかにされていませんでした。特に半導体や絶縁体の場合、光電子が飛び出した後には内殻ホールが生成して系の周期性が満たされなくなり、かつ系が帯電するため、理論的な取り扱いが困難となります。また内殻電子の束縛エネルギーは化学的環境のみならず、スピン軌道相互作用や磁気的交換相互作用により分裂し、実験結果の理論的解釈は容易ではありません。これまでの計算手法では予め内殻ホールを導入した擬ポテンシャルが用いられており、この手法で可能なのは相対的な化学シフトの計算のみです。また、擬ポテンシャルを用いない全電子計算手法の場合にも半導体や絶縁体の絶対束縛エネルギーの計算方法は知られていません。そのため、金属、半導体、絶縁体に関わらず統一して適用可能な高精度でかつ実用的な第一原理計算手法の開発が強く望まれていました。

本研究では固体(金属、半導体、絶縁体)中での内殻電子の絶対束縛エネルギーを密度汎関数理論に基づき高精度に計算する新手法を開発しました [1]。 本手法により化学的環境、スピン軌道相互作用、磁気的交換相互作用を統一して取り扱うことが可能となりました。相対論的擬ポテンシャル法と2成分スピノール形式の密度汎関数理論の枠組みにおいてペナルティ汎関数法を導入することで、任意の原子の角運動量量子数Jと磁気量子数Mの内殻状態にホールを導入することが可能となり、自己無動着計算を通して内殻ホールに対する内殻電子・価電子による遮蔽効果、スピン軌道相互作用、磁気的交換相互作用が同一の理論的枠組みで取り込まれるようになりました。さらに半導体や絶縁体における系の帯電の問題は厳密クーロンカットオフ法を用いることで回避できることを見出しました。内殻ホールの生成により系は帯電しますが、固体の第一原理計算で広く用いられる周期境界条件の下で帯電した系を取り扱うとクーロン発散と呼ばれる問題が発生することが知られています。本来、内殻ホールは無限に大きい系の中に一つだけ存在しており、いわば孤立状態にあると言えます。そこで内殻ホールによって誘起された電子密度分布を周期成分と非周期成分に分割し、周期成分には高速フーリエ変換を用いて通常のポアソン方程式を解くことで周期ハートリーポテンシャルとして計算します。一方、非周期成分は内殻ホールの周辺に局在しているため、クーロン相互作用をこの局在領域のみに適用することで非周期ハートリーポテンシャルが計算されます(図1)。本手法によりクーロン発散の問題は解消され、無限に大きい系の中に一つだけの内殻ホールを模擬的に導入した計算が初めて可能となりました。 本手法を用いて金属、半導体、絶縁体の8つのケースに対して内殻電子の絶対束縛エネルギーを計算し、実験値と比較したところ、平均絶対誤差は0.4 eVであり、その平均相対誤差は0.16%であることがわかりました [1]。 特に半導体や絶縁体において内殻電子の絶対束縛エネルギーの高精度計算に成功した初めての報告例となります。また理論的に厳密な解析から、金属の場合、帯電した系の代わりに電荷中性された系の計算を行うことでも同じ結果が得られることがわかりました。この結果は金属に対するこれまでの取り扱いを正当化するものであり、また計算量も大幅に軽減されます。

第一原理計算によるX線光電子分光(XPS)の理論解析は従来、相対的な化学シフトの議論に留まっていましたが、本研究により絶対束縛エネルギーの高精度計算が可能となり、実験値とのより直接的な比較ができるようになりました [2,3]。新二次元物質の構造解析や、触媒の原子レベルでの反応機構の解明等のために、X線光電子分光(XPS)における理論解析の標準手法として、今後広く活用されることが期待されます。また、絶対束縛エネルギーを詳細に解析することで、遮蔽効果、スピン軌道相互作用、磁気的交換相互作用等の電子状態に関する情報が得られるため、密度汎関数理論における交換相関汎関数の近似を考える上でも重要なベンチマーク事例になると考えています。内殻電子の励起に関与するスペクトルはX線光電子分光以外にもX線吸収端近傍構造、電子線吸収端近傍構造、多電子励起に伴うサテライトピーク等が知られており、本研究で開発された手法はこれらのスペクトル計算にも応用展開が可能であるため、さらに開発を推し進め、第一原理電子状態の有用性を拡張していきたいと考えています。

  1. "Absolute Binding Energies of Core Levels in Solids from First Principles", T. Ozaki and C.C. Lee, Phys. Rev. Lett. 118, 026401 (2017).
  2. "Single-particle excitation of core states in epitaxial silicene", C.C. Lee, J. Yoshinobu, K. Mukai, S. Yoshimoto, H. Ueda, R. Friedlein, A. Fleurence, Y. Yamada-Takamura, and T. Ozaki, Phys. Rev. B 95, 115437 (2017).
  3. "Peculiar bonding associated with atomic doping and hidden honeycombs in borophene", C.C. Lee, B. Feng, M. D'angelo, R. Yukawa, R-Y Liu, T. Kondo, H. Kumigashira, I. Matsuda, and T. Ozaki, Phys. Rev. B, 97, 075430 (2018).